ケンブリッジ大合格!母娘対談 – #2 なぜシンガポールが選ばれるのか?
前回は、シンガポール教育の本質が「英語が上手くなること」ではなく、多様な文化背景の中で育つ環境そのものにあるという話をしました。今回は、もう一歩踏み込んで、「なぜ多くの家庭が、近年、あえてシンガポールを選ぶのか」について、娘のKOKOとの対談を続けます。
名門ボーディングスクールとは違う魅力
「最近、本当にシンガポールを教育移住先として選ぶご家庭が増えたよね。昔は海外教育というと、イギリスやアメリカ、スイスのボーディングスクールというイメージが強かったと思うんだけど。」
「そうなんだ!? でもシンガポールにはシンガポールならではの良さがあると思う。」
イギリスやアメリカ、スイスなどの歴史あるボーディングスクールには、長い伝統があります。代々続く家柄や社会的な基盤を持つ家庭、世界各地で活躍する一族の子どもたちが集まり、長い年月をかけて築かれてきた独自のコミュニティやネットワークが形成されている。そこには、歴史や伝統に裏付けられた大きな価値があります。
しかし、シンガポールには少し違う魅力があります。国そのものが、世界中から人を集めながら発展してきた場所だからです。
「シンガポールって、国自体がグローバル社会の縮図みたいなところがあると思うんだよね。
いろんな国の人が働いて、生活して、子どもたちもその中で育つ。」
「だから、世界に出ることへのハードルが低いと思う。『海外に行く』っていうより、
『世界の中で生活する』っていう感覚。」
私は、シンガポールの魅力を「完成されたエリートを育てる場所」というより、
「これから世界で生きていく普通の子どもたちを育てる環境」だと捉えています。
名門校が用意するのは「すでに存在するエリート層のコミュニティへの入り口」であるのに対し、シンガポールが用意するのは「誰にとっても世界がすでに日常であるという前提」です。これは似ているようで、まったく違う出発点です。
学力だけでは、世界では戦えない
シンガポール教育について語る時、どうしても「学力の高さ」に注目が集まります。
しかし、14年間この国を見てきて感じる一番の強みは、そこだけではありません。
学力に加えて、「世界で生きる力」が育つ環境があること。私はそれを「グローバル力」と呼んでいます。
「日本って、学力が低いから世界で遅れているわけじゃない。学力だけで見るとむしろ高い方。」
「うん。日本の子って、すごく真面目だし、基礎的な力はかなり高いと思ってる。」
「そう。だから足りないものは、学力じゃなくて、その学力を世界で使う経験なのかなと思う。」
これは、日本の教育を否定する話ではありません。
基礎を大切にすること、努力すること、丁寧に物事に取り組むこと。
これらは日本の大きな強みであり、簡単に手放すべきものではない。
一方で、世界の舞台では「自分はどう考えるのか」「なぜそう思うのか」を表現する力が、より強く求められるようになっています。
正解を覚える力だけではなく、自分で問いを立て、考え、発信する力。そこに、これからの時代に必要な力があります。
つまり、日本の子どもたちに足りないのは「学力」ではなく、「学力を使う舞台」なのだと思います。
英語は、道具でしかない
「日本では、何かというと『英語力をつけなきゃ』ってなるけど、それだけじゃないよね。」
「うん。英語は道具だから。英語が話せても、自分の考えがなかったら伝えるものがない。」
この言葉は、私にとってとても印象に残るものでした。英語教育というと、「ペラペラ話せるようになること」が目標になりがちです。しかし本当に大切なのは、その言語を使って何を伝えるのか、どんな価値を生み出すのかという部分です。
シンガポールの子どもたちは、英語を「学んでいる」というより、英語を「使って学んでいる」。この違いは、学習の順序としても、意識のあり方としても、大きな差を生みます。英語がゴールなのか、英語が手段なのか。この一点の違いが、教育全体の設計を大きく変えているのです。
では、この「英語を使って学ぶ」という感覚は、実際の教室の中ではどのような形で現れているのでしょうか。同じ英語の問題に対しても、日本とシンガポールでは、教え方も、間違いへの向き合い方も、まったく違う対応があります。次回は、その具体的な違いと、先生という存在の役割について、深く掘っていきます。
(第3話につづく)