ケンブリッジ大合格!母娘対談 – #3 正解を探す教育と、答えを作る教育

前回までで、シンガポール教育の魅力が「学力の高さ」だけではなく、英語を手段として使いながら世界で生きる力を育てる環境にあることを見てきました。今回は、その環境が実際の教室の中でどのように現れているのか、具体的な場面に踏み込んでいきます。

「間違えないこと」が目的になっていないか

シンガポールの学校を見ていて、私が日本との違いとして強く感じたことがあります。
それは、教育の「目的」が明確であることです。もちろん、日本の学校にも目標はあります。
ただ、シンガポールでは「この学年までに、この力を身につける」というゴールが、より具体的に設定されているように感じます。

「シンガポールの学校を見ていて、日本と違うなって思ったところって何?」

「そこまで日本の学校について知っている訳じゃないけど、やっぱり、自己表現力を鍛えるところかな?
例えば、小さい頃からエッセイを書いたり、自分の考えを文章にしたりする。もちろん間違えるんだけど、それを直しながら上達していく感じ。」

「そこが大きいよね。日本だと、どうしても正解を求めることが多い気がする。」

「うん。間違えないことが大事になりすぎている感じはあるかも。」

この違いは、英語の授業ひとつを見ても分かります。
言語には、同じ意味でもいろいろな表現があります。「She is Koko」も「Her name is Koko」も、どちらも意味は伝わります。でも、日本の英語教育では一つの答えを求めることがあります。
上記の例で言えば、「She is Chie」と答えないと不正解にされてしまうような場面がある。

もちろん文法を学ぶことは大切です。ただ、言葉は本来、人とコミュニケーションするためのもの。
「正しいか間違っているか」だけでは測れない部分があります。

シンガポールでは、子どもが違う表現をした時に、「そういう言い方もあるね」と受け止めながら伸ばしていく場面が多いと、KOKOは教えてくれました。

この差は小さく見えて、実は根が深いものです。
「唯一の正解」を探す訓練を積み重ねた子どもと、「自分なりの答えを作って、修正しながら磨いていく」訓練を積み重ねた子ども

同じ時間をかけても、育つ思考の型がまったく違うものになっていくはずです。

英語は「教科」ではなく「世界とつながる道具」

「日本って英語を『外国語』って呼ぶこと自体、少し不思議だと思わない?」
*地域差はあるようです

「え?今はそんな風に呼んでるの?確かに不思議。」

「英語って、もう外国のものというより、世界共通のコミュニケーションツールになってるよね。」

日本では、英語を特別な科目として扱うことが多いです。
しかし、シンガポールでは英語は生活の一部です。数学を学ぶ時も、理科を学ぶ時も、英語を使う。
つまり、英語そのものを勉強する時間だけではなく、英語で何かを学ぶ時間が多い。この違いは大きいと思います。

「英語ができるからグローバルになるんじゃなくて、世界を見る環境があるから英語も必要になるんだと思う。」

この言葉は、まさにシンガポール教育の本質だと思います。
順番が逆なのです。「英語ができるようになったら世界とつながれる」のではなく、「世界とつながる環境があるから、必然的に英語が必要になる」。
この順番の違いが、学ぶモチベーションのあり方そのものを変えています。

一人の先生が抱え込まない仕組み

もう一つ、大きく違うと感じる部分があります。
それは、学校と先生の役割です。

日本では、先生が担う役割が非常に広いと言われています。教科を教えるだけではなく、生徒指導、保護者対応、生活面のサポートまで、多くのことを一人の先生が担っています。もちろん、日本の先生方の努力は本当に素晴らしいものです。ただ、仕組みとして考えた時に、一人の先生に求められるものが多すぎるのではないかと思うことがあります。

「シンガポールの学校って、先生が全部抱え込む感じじゃないよね。」

「うん。専門の人がいる感じ。勉強を見る人、心のケアをする人、アドミン担当の人、それぞれ役割がある。」

学校の先生が本来集中すべきこと。それは、子どもたちに学びを届けることです。先生が力を発揮できる環境を作ることも、教育改革の大切な部分なのだと思います。

先生自身にも、成長する道筋がある

教育について考える時、どうしても子ども側に目が向きがちです。しかし、教育の質を決める大きな要素の一つは、やはり先生です。シンガポールの教育を見ていて感じるのは、先生自身にも成長する道筋があることです。

「先生たちも、ずっと同じ場所(学校や立場など)にいるっていう感じじゃないよね。」

「うん。次はもっと良い学校で教えたいとか、リーダーになりたいとか、目標がある感じがする。」

先生にもキャリアの選択肢があり、努力した先に次のステージがあります。
教科のスペシャリストになる。学年や教科のリーダーになる。学校運営に関わる立場になる。そういった道筋が見えるからこそ、自分自身を高めようというモチベーションにもつながります。

もちろん、制度だけで先生の質が決まるわけではありません。日本にも素晴らしい先生がたくさんいます。ただ、「頑張りたい」と思った時に、その努力が次につながる仕組みがあるかどうか。そこは大きな違いだと感じます。

ここまで、シンガポール教育の仕組みや環境について見てきました。
しかし、こうした環境で育ったKOKO自身は、何を感じているのでしょうか。
そして、日本人としてのアイデンティティは、この環境の中でどう育っていったのか。

最終話では、KOKO自身の言葉から見えてきた、意外な答えをお届けします。

(第4話・最終話につづく)

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